ふにゃこ
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日本を離れる
2013-01-31 Thu 11:08
 初めての飛行機、初めての海外旅行となる子どもたち。無事に出国の日を迎えて、安堵の気持ちからやや燃え尽き感のある私と違い、かなり興奮状態にあった。品川駅で待ち合わせたはずの、東京在住の両親とはすれ違い、だらだらと長い電車に乗って成田空港に着いた。チケットカウンターに並んでいたところで、遅れてきた両親と出会うことができた。
 今時の国際線では、エコノミーでも、シート一つ一つにテレビ画面がついていて、映画やゲームなどがいろいろと楽しめるようになっている。早起きをした子どもたち、夕食としての機内食が済めば、眠るだろうと踏んでいたのだが、アニメにすっかり夢中で、日本時間の深夜になっても眠る気配がない。その行き着く先を想像しては、早く寝なさい、と叱るものの、結局次の機内食が出てくるころにようやくうつらうつらとし始めた。当然、機内食もほとんど食べられなかったし、すっかり消耗している様子だった・・。長女だけは、睡眠不足はあるものの、機内食がおいしい、と大喜びで、末っ子の食べ残しなどをもりもり食べていた。
 よれよれになってオークランド空港についたが、末っ子をおんぶなどしていられるはずもなく、トイレで体勢を立て直して、しっかり荷物を持って歩いてもらった。前回とは違って、入国審査も問題なく通過した。日本人の親子連れならば、多分あまり怪しまれることなどなく、荷物も開けられての検査はなかった。実は前回は、日本人が中国機で単身渡NZしたからなのか、別のデスクへ呼ばれて、どこへ行くのか、仕事は何か、職場はどこか、などいろいろと聞かれたのだった。
 国内線ターミナルで少々待ちくたびれた後、国内線に乗り換えてタウランガ空港へ到着。半年前と同じように迎えに来てくれたベンの車に乗って、最終目的地へとたどりついたのだった。


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鳥その2
庭先に来て、プラムをついばんでいました。
ツグミ? 椋鳥くらいの大きさです。




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最後の日々
2013-01-30 Wed 04:52
 年が明け、年賀状しかやりとりをしていない知人たちからの反応が2、3来たが、相変わらず妙なことを言い出すヤツだと思われているのか、それともそもそも私自身にそれほど関心もないのか、予想していた以上に何も起こらなかった。
 毎朝次女が、あと〜日だねぇ、などとカウントダウンしていたが、私自身の中では「計算通り」に事が運んでいたため、思ったほど感慨深くもなく、正月が過ぎていった。ノロやインフルエンザが流行していたので、子連れで人混みに出ることは極力避け、親戚や知人と会うなどしていた。

 最後になって、もっとどたばたとするかと思っていたが全然そうでもなく、もうなるようになるな、とあきらめつつ、最後の書類の整理や机の上、衣類の後始末などをした。いつもは書類ややりかけの仕事の山になっていた作業机の上がすっかりきれいになったのを見て、ここまで片付くとは思わなかった、と夫は驚いていた様子だったが、山にしていたとはいえ、それほど正体不明のものを置いていたわけではないので、そう不思議なことでもなかったのだが・・夫にとっては樹海のような存在だったのだろう。
 一番最後に来てくれた知人親子と楽しいひとときが過ごせたことは、子どもたちにとっても良い思い出になっているようだ。
 最後の朝も、普通に起きて、普通に朝食を摂り、普通に洗濯をして、普通に出発をした。駅では、アドラー仲間が見送りに来てくれていた。


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ビーチで見かけた鳥。飛んでいる姿は海鳥らしかった。
見たことのない鳥があちこちにたくさんいるので、
野鳥の会の叔父が見たら喜ぶでしょう・・・(→HPはこちら

→Oystercatcherという種類の鳥であることが判明しました。
Wikipedia



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役所関係・後半
2013-01-29 Tue 12:14
 夫は一日考えて、年金は25年払わないと受給資格がないから、あと数年は続けよう、と結論を出した。それと、付加年金もつけて、という指示があった。仕事をしている間は、国民年金基金への積み立てもしていたのだが、退職とともにそれをやめており、代わりというほどでもないが、付加年金をつけることにしたのだ。
 担当部署へ行くと、ベテランのちょっとイケテルおじさまな職員さんが丁寧にいろいろと教えてくれた。年金は世帯主名義なので、夫の印鑑が要ったり、いくつかの書類が必要で、なんともう一度出直す必要があった。御用納めの一日前で、役所が開いているのがあと1日、しかも出発が1/6なので、それまでに役所に書類が届いている必要があった。 しかし、新年1/4は金曜日で、その1日稼働したらまた土日に突入するため、何としても書類は4日までに届いていなくてはいけないということだった。仕事の都合があったりで、とても市役所往復は難しいのだけど、と伝えると、それなら明日中に近くのサービスセンターに持って行ってもらえれば、4日にはこの部署に届くから、と、小さなメモを書類に貼り付けてくれた。
 翌日、言われたとおりにサービスセンターに持って行って、無事に年金事業も完了したのだった。


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お米の消費が激しいです。毎日5合も6合も食べます。
お米は安いので、ごはんを食べている分には、食費の節約になります。
今日は安売りだったので、20キロ買いました。これで2720円也。

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役所関係・前半
2013-01-28 Mon 05:38
 ネットでそれとなく調べたところでは、海外へ出るときに、いわゆる住民票を抜く、という作業は必ずしもしなくてもよい、といううわさだった。行政としては、住民税を収めてもらった方がよいから、という理由で。ならば、子どもたちの住民票だけは残しておこうかと思っていた。市民税を払っている夫は日本に残っているのだし、学校の教科書くらいはもらう権利もあるのではないかと思ったのだった。

 自分自身は、国民健康保険も高いし、国民年金などもう払いたくないし(!)住民票は抜こうと思っていた。
年末ぎりぎりになって浜松市役所へ行き、まずは住民票の部署へ行った。事情を説明すると、子どもたちも抜かなくてはいけない、ということらしかった。しかしそれでは教科書がもらえないのですか、と問うと、教育委員会の手続きが終わっているので、どっちみちもらえません、という答えだった。ちょっとがっかり。
 住民票を1/6に抜くという予約をし、私の分の国保を、これも1/6までで脱退の予約をした(保険証に書き込まれ、返信用封筒をもらう)。年金もやめたいのだけれど、と伝えると、年金をやめると、何かあったときの障害年金がおりませんけれどよいですか、と聞かれ、年金の担当部署へ行くように指示された。
 時間切れになったことと、障害年金のことでも夫に確認をしたかったこととで(我が家の保険・年金担当は夫)、一旦撤収することにした。


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先日行った、地元の人しか行かないビーチです。
ちょっと波が強くて、海水浴にはあまり向かないかも。
まどちゃんはいろいろと採集しています。

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何か見つけたようです。
海草がいろいろと流れ着いています。
日本人にとっては、おいしそうに見えます。
こちらでは、集めて肥料の足しにする人もいるそうです。


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波が強いので、流されないように手をつないで!
黄色い歓声が上がります。


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学校関係
2013-01-27 Sun 05:35
 子どもたちの転校のことは、担任の先生たちに伝えてあり、担任の先生から、教務主任の先生には伝わっていた。末の子は幼稚園の年長だったので、10月には就学時健診がある、というお知らせが来ていた。学校へ行かないのに、就学時健診も不要だろうと思い、念のため、教育委員会へと連絡を入れると、就学時健診へは行かなくてもよいし、学校の方へも知らせておくが、そういう事情であれば、一度教育委員会へ来て学校へ通わないための書類を書いてもらいたい、と言われた。そのときには、末っ子の分だけでよい、という話だった。

 12月に入り、慌ただしい中を縫って教育委員会へ行き、その手続きを取った。それで完了だと思っていたら、担任の先生から、手続きはしましたか、と連絡が来た。教育委員会からは、下の子の手続きが必要とだけ聞いていたのですが、と答えたが、もう一度教育委員会へ問い合わせると(下の子だけでよい、と電話で言われたのだけれど、とややクレームモードで)、ではこちらから学校へ伝えておきますので、との回答だった。
 数日すると、担任の先生から、書類を子どもに持たせるので記入をお願いします、と電話があった。教育委員会に二度行かずに済んで、助かった・・・。
 ともあれ、こうして子どもたちの学校手続きは完了した。年長の三女は、幼稚園を卒園できないため、在園証明書というものを特別に書いてくれた。

 学校や幼稚園の先生方も、放射能の問題で日本の将来が危うい、と考えている私を笑うようなこともなく、きちんと対応をして下さった。元々、家庭訪問や面談の折を見ては、さまざまな形での情報提供もしてきたので、私たちの移住で、多少なりとも危機感を伝えることもできたのではないかと思っている。
 子どもたちも当初、友だちとも、放射能についてはあまり深い話をせずにいたようで、自分たちだけが逃げ出すことへの後ろめたさを感じていたようだったが、何人かのクラスメートに話をしてみても、危機感を理解してくれる子は少なかった様子で、半年ほどをかけて踏ん切りがついたようでもあった。

 まったく、放射能の危険性の話をしても、通じない人にはまったく通じない。それは、旧約聖書の中の、ソドムの町の話のようであった。ソドムの町にいまだ残る、家族や友人、知人たちのことを思うと、私も断腸の念を強く持たざるを得ない・・・。


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プラムを収穫しています。届かな〜い。


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ご近所さんにもおすそわけ。でも、この山の、まだあと何倍かあるんです。

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在庫管理
2013-01-24 Thu 16:16
 移住に向けて、食材の購入を考えなくてはならなかった。パン用の小麦粉、トマト缶など、いろいろとまとめ買いをしていたので、秋口から考え始めなくてはならなかった。買いすぎれば、無駄に余ってしまうだろうし、足りなければ買い足さなくてはならない。
 また、荷物に入れて送ったり、持って行ったりする食材も考えなくてはならない。とりあえず、ふりかけや、粉末だし、乾燥ワカメなどの乾物はいくらか送ることにした。

 冬休みになると、いよいよカウントダウン。それでも、1日3食、子どもたちに食べさせなくてはならず、年末年始も挟むため、なかなか頭を悩ませた。当時、牛乳はとある宅配サービスを利用していて、10日に1度ほど、10本〜12本まとめ買いしていた。結局牛乳は余り気味で、最後に遊びに来た友人がもらって帰ってくれたので、あまり無駄にならずに済んだ。
 冷蔵庫がだんだんと空っぽになっていくのは、意外に気分の良いものだった。残っている食材で何が食べられるのかを考えながら年始を乗り切った。冷蔵庫は大半ががらんどうになった。
 尤も、我が家の場合、夫が残って後始末をすることが可能だったため、多少残ることを心配せずに済んだわけだが、もしも一家で一度に移動するならば、この点ではさらに少し大変かも知れない。


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小学校のプールに遊びに行きました。市民にも有料で開放されているのです。
が、チェックはかなりルーズでした・・。
低学年用のプールは貸し切り状態でした。



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意外に泳げたさっちゃん


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でも、すっかり冷えきってしまいました・・



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脱快楽依存症・・・
2013-01-23 Wed 10:51
 2学期が終了し、幼稚園や小学校の先生方にもあいさつを済ませた。とても良くしていただいた幼稚園だったのだが(→HPはこちら)、最後には、先生方が直々に丁寧に書いてくださった寄せ書きをいただき、胸がいっぱいになった。
 いよいよ本格的に子ども部屋の片付けを始めた。教科書などの学用品を押し入れの中に詰め込み、各自のがらくた宝物を、一人一つの引き出しに押し込んだ。夏の衣類は、すぐに使うので、夏が終わったところでNZへ送り、冬服は春頃に送ってもらうために、段ボールに詰めていった。すると、クローゼットががらがらになり始めた。
 不思議なもので、ものが減り始めると、ものへの執着はだんだんとなくなっていく。ものは、増やすと余計に執着が増す、という悪循環を作るのだなぁと実感した。
子どもたちのおもちゃや絵本など、捨てるにはもったいないが不要なものたちを、幼稚園や知人、友人に譲り渡していった。手放しても、手放しても、まだまだものはたくさんあった。持ちすぎだったのだ。
 NZに行ったら、ものは増やすまい、と決心した。幸い、NZ人はシンプルな生活が好きなようで、特別無理をしなくても、そうした生活を送ることはできそうだ。

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みんなで、いろおに、たかおに、宝探し、だるまさんがころんだ、
かくれんぼ、などをして盛り上がっています。

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解約
2013-01-22 Tue 04:37
いくつかの契約の解約、退会、住所変更などの連絡も思いつくだけはやったが、やり残しはあるはずだし、また、時間がたつとともに、不要になっていくものも出てくるだろう。
 車も1台廃車にした。保険の解約、JAFの休会。国際免許証は、申請すればすぐに出してもらえるものではあるが、NZでは日本の免許証がそのまま書き換えられるらしいので(なおかつ10年更新!)、それまでのつなぎとして取っておくことにした。さらに、NZの免許証を日本の免許証に書き換えることもできるらしく、それならば、日本での更新は要らないのか??というのが目下のところの疑問。次回一時帰国するときに、更新予定なので、確認してみようと思う(具体的には未定だが)。
 クレジットカードの解約。しかし、つい最近利用したばかりだけれど、解約しても代金は落ちるのか??
 
 最後になって、携帯電話の解約をしたのだが、これが案外面倒だった。まず、解約の予約はできないため、早めにはできない。そして、私の回線を主回線として、いくつかの副回線を使っていたのだが、主回線を解約してしまうと副回線も解約になってしまうため、回線の名義人を変更した。しかしこの変更が1日2人までで、それ以上だと、一人当たり5万円かかるという・・・意味不明。とりあえず、2人分を夫の名義に換え、自動振替口座を変更し、というような手続きを2日がかりでやるはめになった。
ほとんど使っていなかったとは言え、携帯電話フリーという生活は実に気軽なものだ。


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裏のジョンさん。とっても優しいおじさんです。
たくさん実のなるりんごの木が倒れてしまったのです。
ちょっと期待もしていたので、残念・・・

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代わりに庭のプラムを摘んで、あげることに。
プラムはすっかり食べ頃になったようです。


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片道切符
2013-01-21 Mon 07:06
 夏が過ぎ、そろそろチケットを用意しなくてはいけなかった。しかし、まだビザが下りていないどころか、申請書類さえ提出していないのに・・もしも、申請が却下されたり、手続きが長引いたら?最悪、観光ビザで入国しておいて、あとからビザ発給となることも念頭にはおいておく必要があった。

 現地の学校の書類によれば、1月の終わりから新学期ということだったので、生活に慣れる時間を考慮して、また、日本で年賀状の返事が来るかも知れないことなども考えて、1月6日に決定した。休日ならば、駅まで夫も送りに行くことができる。1月といえば、NZでは観光のハイシーズンなので、どの格安チケットサイトでも、そう安いものはなかった。例によって、中国機のチケットなら多少は安いものもあったが、子連れであの旅は無理だと思った。
 4人で30万円の直行便を取ったのだが、そんなものかも知れませんよ、とルイーズケーキさんは言っていた。

 航空チケットを自分で購入したのは、下見のときが初めてだったのだが、今はインターネットだけで簡単に購入ができるのでとても便利だ。チケットを選択して、パスポート情報などのいくつかのデータを入れるだけである。しかも、チケットが送られてくるのではなく、eチケットという、購入者情報画面をプリントアウトして持参するのだ。
 しかも、多くの場合、プリントアウトしたものなどは覚え書きに過ぎず、空港のカウンターでパスポートさえ見せればOKなのだ。チケットが手元にないという不安もあるが、パスポートさえあればどうにかなる、という気楽さもある。
 NZでの国内線は、ルイーズケーキさんがNZから購入手続きをしてくださり、私の元に来たメールから、eチケットをプリントアウトして持っていたのだが、乗り継ぎ手続きも、パスポートをスキャンしただけでできたのだった。

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10日間のホリデーで来ていたおねえさんと。
子どもたちに振り回されていたけれど、楽しんでもらえたかな?

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荷造り
2013-01-20 Sun 05:25
 家具や食器、いくつかの消耗品は、ホストさんのものを使わせてもらうので、必要なものは、衣類や日本語の本、多少の食材、薬などがメインである。衣類は4人分なので多少かさばるが、残していったらただのゴミなので詰め込んで送った。
 本も、末っ子のさっちゃんの日本語力を維持しておきたかったので、重たかったが、絵本も優先して入れた。服や日本の食材など、とにかく最初の1年は極力何も買わずに暮らしたいと思っている。こちらの思惑通りになるかどうか・・。それと、日本語のボードゲームやカルタなども。
 
 クラスメートの服装や持ち物を必要以上に意識して、余分にたくさんのものを買ったりほしがったりする傾向のある、近頃の子どもである、わが子たちに、足るを知る体験をさせたいと思っているのだ。NZは、大人も子どももシンプルな服装をしているし、同じものを着続けていてもだれも何も言わない。そういう現代日本の垢を落としたいと思っているのだ。
 それでも、大きめの段ボールに15箱ほどにはなった。船便なので、一箱が6〜9000円ほど。重さで多少変わるのだ。4人の引っ越しが10万円ちょっとほどなら、まぁまぁだと思う。
 荷造りしていく中で、初めの方にあれこれ詰め込んだものなど、実際にはあとからゆっくり送ってもよかったものもたくさんあり、終わり頃になってようやく、本当に必要なものが見えてきたように思う。だから、到着した今、後からでもよかったものが先に到着していて、あれがないと不便だなぁと思うものがなかなか到着せずにぼんやりと待っている。


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赤ちゃんのお世話はもうお手の物です。

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今日は眼下の牧場の馬たちが、とっても近くまで来ています。




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仮住まい
2013-01-19 Sat 13:57
 移住を具体化させるときに、最初に大きなハードルになるのは、住居をどうするか、ということではなかろうか。しかし、日本にいながら、いきなり家を借りると言うのも、難しい。かと言って、エージェントにまかせきりでは、どんな町に住むことになるのか分かりにくく、行ってみてびっくりという話も聞く。日本人がやや多いという高級住宅街だったり・・。
 NZは温暖なイメージがあるかも知れないが、実際には、南島は夏でも長袖が要るようなところも多いようだし、オークランドは雨が多かったりと、気候についてはよくよく情報を集めないと分からないこともある。
 仕事が決まっていれば、必然的に仕事場の近くを選ぶことになるだろうけれど、仕事もなく、母子だけの移住となると、雲をつかむような、決め手のない話である。一度決めてしまえば、子どもの学校や資金のこともあり、何度も転居したり、転校したりは難しくなる。

 その点、ホームステイならば、家具もほとんど不要だし、暮らしながら、家や車などを探していけるし、ご近所づきあいや何がどこで売られているかなども、ホストさんに教えてもらいながら、少しずつ広げていくことができる。仮に、移住を断念せざるを得なくなるとしても、ただ出戻るだけだから、失うものも最小限で済むかも知れない。
 そういう意味でも、本当に良い条件を見つけられたものだと思う。まして、ホストのルイーズケーキさん夫妻は、奥さんが日本人で、だんなさんがkiwi(NZ人)だから、生活全般の指導は日本語でレクチャーしてもらいながら、NZ人の生活も同時に体験できる。子どもたちが学校に通うにあたって、NZ人の生活について多少なりとも知っていることはとても有利になると思う。
 食生活はもちろん、入浴、洗濯、食器洗いなどの日常的なことの中にも、日本人のそれとの微妙な違いがある。例えば在NZの日本人夫婦の生活だけを見ていては、ずっと知らないままかも知れないこともきっとあるだろう。

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ルイーズケーキさんちの赤ちゃん。
赤ちゃんのお世話もまかせて下さい^^
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書類の提出
2013-01-19 Sat 05:11
 いよいよ書類を提出した。書類は、日本の申請センターでチェックした後、上海の領事館へ送られて合否を下すことになるため、2、3週間かかり、年末年始はさらに時間がかかる可能性があるということだった。しかし、前回のように、戻ってきてしまっては元も子もない。第一、仕事先や日本の学校などには既にやめることを伝えてあるにも関わらず、肝心のビザが下りなければ、そうしたところにもすべて迷惑がかかってしまう。既に片道チケットも購入してある。宙ぶらりんの状態であるという焦りはずっとあった。
 戻ってくること覚悟で、とにかく提出した。
 ちなみに、初回のときは書留で出したのだが、今回は全員分で、レターパックの500円。返信分の料金は、申請時に振り込みをして、その領収書を同封する。

 すると、提出してから一週間もたたないうちに、書留が来た。また戻ってきたのか、それとも無事ビザが下りたのか、開封するのにこんなにどきどきしたことってあっただろうか・・。返ってきたのは、3人分のパスポートだった。無事に学生ビザが下りたのだった。未成年の子どもたちだし、保護者の申請さえきちんとすれば、あとはついでなのかも知れない。
 結局、私のパスポートも10日ほどして無事に戻ってきた。

 移住の準備は、いろいろとイメージするかも知れないが、基本的にはビザと資金があれば十分なわけで、ビザが下りたことですっかり安心してしまい、だいぶ日にちが迫ってきていたにも関わらず、焦る気持ちがすっかり消えてしまった。

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あじさい。懐かしいことは懐かしいのだけど、
花がヘルメットくらいあるんです・・

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申請書類
2013-01-18 Fri 05:47
 申請書類を改めてダウンロードし直し、健康診断の書類も書き直しになってしまうため、仕方なくもう一度健診の予約を入れた。再びクリニックに行くと、受付の人も、先生も、早すぎたんだネ、と笑っていたが、レントゲン代の実費だけで書類をもう一度書いてくださった!ありがとうございました!

 ビザ申請には、学生ビザならば、学費を払い込んだという学校からの書類と、本人または保護者の一定額以上の銀行残高証明が必要である。保護者ビザでは、やはり、一定額以上の残高が必要である。いずれも、いざというときに国を出られるだけの航空運賃を持っている、という保証のためだ。だからそう多額である必要はなく、移住のための生活資金があるはずだから、その程度の証明で十分である。
 当初はNZの銀行で、インターネットバンキングの画面から残高証明を取って使おうと思っていたのだが、プリントアウトしてみると、口座の番号はあるものの、契約者の氏名がない。これで証明になるのか心配だったので、日本の銀行口座の残高証明を使うことにした。事前に電話でわけを話すと、書類作成に1週間かかるところを、すぐに用意をしてくれた。英文で、しかも気を利かせてNZドル換算で書いてくれたので、翻訳の手間も省けた。ありがとう静岡銀行さん!

 ところで、保護者ビザには、もう一方の保護者が他方に子どもたちの世話を一任する、という委任状が必要であり、また、保護者ビザ、学生ビザそれぞれに、家族であることの証明が必要である。後者については、日本では戸籍謄本で代用できる。しかし、初めに大使館に問い合わせたときには、日本で申請する場合、翻訳は不要と言われていたにも関わらず、改めて申請センターに聞いてみると、翻訳は必要です、というのだ!しかもこんなに迫っているというのに!
 ちなみに、こういう場合の翻訳というのは、自分で辞書を引き引きする翻訳を意味するのではなく、きちんとした翻訳業者に依頼をして、翻訳証明というものを付けるところまでが必要だ。

 急いでインターネットで翻訳業者を探した。いくつもある中で、特に決め手があったわけではないのだが、値段が分かりやすかったことから、やや場当たり的にトランスゲート(→HPはこちら)という会社に依頼することにした。週末に依頼をしたのだが、急いでいるわけを伝えると、まだ夫の印鑑が間に合っていなかったり、翻訳料の振り込みが間に合っていないにも関わらず、先に翻訳をしてくださった! さらに、私の作った委任状の文面が、離婚する相手に子どもを依頼するような印象を与えるかも、ということで、何に使うのかを逆に問い合わせてくださり、より明確で公的な文章に変えた上で、翻訳をしてくださったのだ。ありがとう、トランスゲートさん!
 その後、トランスゲートの社長さんとは、FBでもつながることができ、その伝手で、NZで起業をしている知人さんともつながることができた。

  そんなたくさんのありがとうの結果、なんと1週間で書類がそろったのだった。


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車で20分くらいのところにあるビーチです。砂がさらさらです。
あまり海で遊んだことのない子どもたちです。
波が来ないかな〜〜


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来た〜〜!
なんだかテンション高いです・・・




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下見
2013-01-17 Thu 15:30
 長旅だったのと、それまでの睡眠不足が重なって、夜もぐっすり眠れ、翌日もすっきりと目覚めることができた。2日がかりで書類の書き方や、必要書類について、細かく指南していただいた。そして、いずれ生活費を送金したりするためにも、銀行口座が必要だったのだが、口座開設も、お二人に教えていただきながら何とか成功。カードの送付先や、信用など、お二人がいたからこそ、あっさりと手続きが進んだのだと思う。

 そして、ルイーズケーキさん夫妻が、子どもたちが通うことになるパンガロア小学校の校長先生との面会をセッティングし、同行し、私に代わっていろいろと聞いて下さったおかげで、学校への不安も無くなった。校長先生自ら、校内をあちこち案内してくれたが、NZの多くの学校がそうであるように、学校は一つの校舎がいくつもの教室に仕切られているのではなく、いくつかの教室が入った木造の小屋が、敷地内にいくつも建っている構造をしていた。ルイーズケーキさんの息子、ジョシュアの通う学校では、トイレも別棟なのだそうだ。
 敷地内も、校庭も全部芝で覆われている。サッカーコートやラグビー場のイメージである。5月というと、もう秋だが、芝は青々としていて、子どもたちの多くは敷地内をはだしで歩いていた。学校だけでなく、街中でもはだしで歩いている人がちらほらいる。
この学校までは10キロほどあるので、スクールバスでの通学になる。

 この下見旅行は、宿泊や車での移動などすべてルイーズケーキさん夫妻のご厚意でしてくださった。右も左も分からない状況で、大変心強かった。いつの日か、このご恩返しを、ご夫妻はもちろんだが、私たち家族を受け入れてくれるであろうNZに対して、必ずしよう、と思ったのだった。
 短い滞在ではあったが、不思議とどたばた感はなく、ゆっくりと時間が過ぎていったように感じた。
そして再び、約二日間に亘る、恐怖の旅路についたのだった。



校長先生がプールを案内してくれました。屋外の温水プールです。
これは移住後にもう一度校長先生に面会に行ったときの写真です。
新しいプールです。学校の時間以外では、市民にも有料で開放されて
います。屋外なのに温水です!

図書室です。築100年の家屋です!
図書室。ここを含めて、一部に築100年の校舎があります。



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下見決行
2013-01-16 Wed 16:34
 これからNZへ行く方に強く警告したいと思うが、中国機にはご用心。ここに書くと、ブログの雰囲気さえ悪くしかねないので詳細は書かないが、とにかくマナーが悪く、精神的に不快な思いをたくさんした。往復7万円という格安の理由はそこにあったのだろうか。

 ルイーズケーキさんからは、NZ人はとても親切だ、と伺っていた。他の乗客や広東空港の客だけではなく、機内や空港の職員の態度にもうんざりしていたのだが、とにかくもオークランド空港へ着き、入国審査で、なぜ中国機で日本人がやってきたのかと根掘り葉掘り聞かれてから、ようやく外へ出た。
 国内線に乗り換えなくてはならないので、乗り換えの手続きカウンターへ行くと、そこにはだれもおらず、何やら機械が2台並んでいた。どうすればよいのかときょろきょろしていると、かっぷくの良い職員のおばちゃんがにこやかに近づいてきた。パスポートを出してごらん、と言うので取り出すと、その機械に挿入して、乗り継ぎの手続きをしてくれたのだった。丸1日以上、緊張感のある、ちょっと恐い環境にいたので、このおばちゃんの親切は本当にありがたかった。

 国内線の乗り場までは少し距離があり、シャトルバスも出ているらしいのだが、一体どれがバスなのやらよく分からなかったので、徒歩で行くことにした。歩いてほんの10分ほどだが、よく晴れていて気持ちのよい風が吹いていた。
 ロビーでもう一度少し待つことになったのだが、広東空港とは違って、安心して待つことができた。国内線は観光バスほどの乗客しか乗れない、小型のプロペラ機だった。陽気なCAが気持ちよく迎えてくれ、隣に座った大きなおじちゃんも、私が子どもに見えたのか、大丈夫だよとでも言いたげな優しい笑顔で、CAの配る水やキャンディを廻してくれた。夜だったので、夜景しか見えなかったが、街と幹線道路だけが明るく、その他の場所は真っ黒で月がきれいに光っていた。

 30分ほどのフライトで目的のタウランガ空港に着いた。空港のどこに行けばよいのですか、ときく私に、ルイーズケーキさんは、絶対に迷わないくらいのところだから大丈夫ですよ、と教えてくれたとおり、ロビーに入ると、すぐにHPで写真を見て知っていたビッグベン(大きな体のベン、という意味で、私が勝手に付けたこのブログ限定のニックネーム)を見つけることができた。空港から車で20分ほどで、ついにルイーズケーキさんの家に到着した。
 家を出てから2日が経過していた。



火が消えちゃうので、ろうそくはお部屋で
今日はこの家の長女ソフィアの4歳の誕生日でした。
ランチはお庭でしたが、ろうそくの火が消えてしまうので、室内へ移動。


お庭でガーデンパーティ
ガーデンパーティ。なぜかカメラを向けると顔をそむける和・・・


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ビザの種類
2013-01-16 Wed 08:00
 NZには観光ビザで入国できて、3ヶ月まで滞在することができる。申請をすればある程度の延長も可能だ。
私たちの場合はもちろんそれではダメで、子どもたちは学生ビザ、私はガーディアンビザという保護者ビザのようなものが必要だった。13歳以下の子どもが留学する場合、保護者一人に下りるビジタービザである。

 移住ビジネスをしているエージェントを利用すれば、有料サービスですべて手配してくれる場合が多いようだが、「自分でも書けますよ」という、ルイーズケーキさんのアドバイスで、自分で書くべく、NZ大使館のHPからダウンロードした。
 書き始めてみたものの、やはり分からないところも多い。正式書類なのだから、当てずっぽうで書くわけにはいかない。何度も何度も、ルイーズケーキさんにメールをしながら、書けるところは書いたが、結局ほとんどはGWの下見のときに手伝ってもらったのだった。

 ちょうどこのころ、浜松では、震災がれきの受け入れ問題が勃発していて、私も動かずにはいられず、担当課のある保健所や、市主催の説明会などに出かけていって、なかなか忙しい日々を送っていた。また、PTA専門部の部長という役職もあり、4月・5月は新年度の役員さんとのミーティングや会合があって、本当に合間を縫って下見に行った、という状態だった。カゼなどひいている場合ではなく、体調にも気を遣った。



こんなベタな展望台があります。小さいので見晴らしはどうかな・・

Te Pukeはキウイフルーツの町。平原の中に、こんなベタな展望台があります。
おみやげショップもあります。NZっぽいものなら、ここで買えます。

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失うもの
2013-01-15 Tue 04:34
 さて、GWに下見決行となった。 
GWには、本当はとても楽しみにしていた、アドラーギルド(→HPはこちら)の「かささぎ座」というサイコドラマの講習会が予定されていたのだが、それは泣く泣くあきらめた。1年前に初めて参加したとき、サイコドラマの驚くべき治療効果を目の当たりにして、それはそれは感動した。次回も是非に、と思っていたのだった・・。

 移住を決心したとき、あきらめるのが辛かったものがいくつかあった。一つは、私のピアノの先生(→HPはこちら)だった。この先生に出会えたことで、私の音楽ライフ、音楽を聴く姿勢、ピアノを弾くということそのものの認識が大きく変わった。これまでとても雲の上だった、一生かかっても弾けるなんて思わなかった曲が、手に届きそうなところまで近づいてきたし、曲作りとはこういうものなのか、ということを知ることができた。あと10年も習えれば、もっとレパートリーも増えて、もっともっとピアノと友だちになれるだろう、と思っていたのだった。できれば先生をNZへお連れしたいとさえ思った・・・。
 
 もう一つは、アドラー心理学の勉強だった。本を読んで知識をつけるだけが勉強ならば、NZで独学もできるだろうけれど、アドラー心理学の勉強は運動のようなもの。一人で勝手にやっているとおかしなクセがつくし、やらずにいるとなまってしまう。日本のアドラー心理学は、国際的にも引けをとらないほど、学習者もいるし、正統派の理論をきちんと引き継いでいる(→学会HP)。NZにアドラーの学習会があるという話は今のところ聞いたことがない。しかし、これについては、アドラー心理学の英語の文献を読む、英語のレベルをあげて、ICASSI(→イカッスィと読みます)という国際セミナーに行く、という目標を作ってなんとかクリア。アドラー仲間とは、SNSやFB、メール、アドラーネットなどでのつながりもあるし、まったく途切れるわけではないので、何かあれば簡単な質問などもできないことはない。

 もう一つ残念だったのは、末っ子にもう少し音楽の勉強を続けてほしかったこと。ヤマハ音楽教室に通っていたが、音符を本格的に読むようになるのはまだまだこれから。決して、ピアノを上手に弾けるようになってほしい、というような希望はないのだけれど、音符を読むことや鍵盤を弾くことは、大人になってゼロから始めても、子どものときからやっているようにはなかなかなれないものだから。尤も、この件も、そのうちキーボードでも手に入れて、私自身が少しだけ教えれば何とかなるかも知れない、と思い直したのだった。


プラムがもうすぐ食べられます。

庭のプラムはもうすぐ食べ頃です。





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ブラジル人を見習う
2013-01-14 Mon 05:56
 よく移住をする決心をしましたね、とたびたび言われるが、一つには、日系ブラジル人の友人たちに勇気づけられたこともある。

 友人のLuizさんは私よりひとまわり先輩で、約15年前に日本に移住してきた。彼の場合は、移住だけでなく、同時に帰化もしている。彼はブラジルではスーパーマーケットの店長さんをしていたので、日本で考えればかなり裕福な生活をしていたらしい。住み込みのお手伝いさんもいたし、日本のサラリーマンの何倍も稼いでいたようだ。しかし、それを投げ打って移住する決心をしたのには、ブラジルの治安の問題があったという。彼は日本語をほとんど話せなかったのだそうだが、日本へ来てから日本語を勉強し、たくさんの漢字も読み書きできるようになり、日本の小さな会社で、日系ブラジル人の人事などを担当する仕事をしている。
 私は縁あって、彼からブラジル語を教わっていたのだが、レッスン料などはなく、仕事の後のプライベートの時間を割いて教えてくれていた。

 彼は忙しくて疲れている様子なのに、いつも周りの人のことを気遣い、家族と過ごす時間をとても大切にしていた。決して裕福ではないだろう日本の生活の中でも、家族とあちこちへ旅行したり、パーティをしたり、日本に家も建てて、とても充実しているのが伝わってきた。

 そんな彼を見ていて、私もいろいろと機会に恵まれているはずなのに、それを楽しんだり、幸せに感じることもせずに、どたばたと暮らしているのは、自分自身の構え方次第なのだなぁと感じたのだった。移住すれば、今あるもののうちの、いくつかを失うだろうけれど、それは恐れる必要はないのだと思えた。仕事のキャリアさえも惜しくなかった。もっと大切なものがあると思ったし、それは自分のやる気次第であることも分かった。ブラジル語を教えている日本人の知人は、ブラジル人は人生を楽しむ天才だ、と言っていた。

 私もそんな彼を見習って、少々の苦労は乗り越えていこうと思えたのだった。
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下見旅行を決める
2013-01-13 Sun 12:09
 さて、このルイーズケーキさんという女性(→ブログはこちら)に、メールでさっそく次々と問い合わせをしていった。具体的な条件や、こちらの状況、移住したとすると子どもたちの学校はどうなるのか、などなど。
 移住を勧める本やサイトには、スーパーの食品の価格だの、エフトポスという電子マネーが普及しているだの、行けばすぐに分かるようなことはたくさん載っているのだが、実際に異国で生活することを具体的にイメージできるような、そんな情報は少なかった。少なくとも私のニーズには足りなかった。
 どの質問にも本当に丁寧に、親身になって答えて下さったと思う。こちらに来てから分かったことだが、子育てや受け入れ事業の忙しい合間を縫ってメールを書いて下さっていたのだった。

 ルイーズケーキさんは、まずは一度下見に来ては、と勧めて下さったのだが、私も仕事や子どもたちの習い事などがあって、連続して取れる休みはGWだけだった。当時ルイーズケーキさんは妊娠中で、GW明けには臨月に突入という状況だったのだが、とにかくチケットをとった。格安をねらって中国機にしたのだが、なかなか壮絶な体験だったことは、いつか書くかも知れない。
 GW中に下見を完了しなくてはならなかったので、中2日という強硬ツアーだった・・・。海外旅行自体が、20年ぶりくらいだったし、それもほとんどがツアーだったので、一人で見知らぬ国へ、それもトランジットしながら行くのはとても不安だったが、NZへ着いてからの、空港での段取りやアクセスなどは事細かに教えてもらうことができたので、何とかなるだろうとは思っていた。


記事はこれまでの経過について書いているが、現在進行形の写真を、順次掲載していく。

庭で水遊び
暑いので庭で水遊び

馬にエサやり
裏の牧場の馬にごあいさつ

3人でブランコ
近くの公園でブランコ






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出会いは突然に
2013-01-12 Sat 19:05
 経緯を書くと長くなるので省くが、2012年の年始に、出たい、と直感的に思った。ちょうどそのとき、偶然にも、とあるSNSのNZ関連のコミュへの新着書き込みが、ふと目にとまった。普段はそのままスルーしていたような記事なのに、なぜかそのときは見る気になったのだった。
 これが仏さまのおはからい、というものなのかも知れない・・・

 そこには、NZへの留学、ワーホリさんの受け入れをしています、という現地の女性からの記事があった。そして、「家族の受け入れも可」とあったのだった。その当時は、アレからの避難という意味合いは薄かったということを後から伺ったが、とにかくすぐにメッセージを出した。受け入れてもらえますか、と。すると、受け入れられますよ、というとても丁寧な返事が来た。資金の目処さえつけば、実現できそうだった。

 何人かの知人に、NZへの移住ってどうでしょうかねと打診してみた後、夫に、「NZに移住ってどうかなぁ」と聞いてみた。ちょっと前に、避難のためにバイクを買うのはどうかなぁ、と持ちかけたときのように、「何をバカなことを」とでも返ってくるだろうと思っていたのだが、想定外の「いいんじゃない」という返事だった。夫のOKさえ出れば、あとは動くだけである。

 それにしても、あの日、ふとあのコミュをのぞくことをしなかったら、私は未だに、移住へのハードルを越えられずにもやもやとした日々を過ごしていたかも知れない・・・
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なぜNZだったのか
2013-01-11 Fri 17:56
 元々、財テクの一つとして、ほんのちょっぴりのNZドルを持っていたことも無いではなかった。当時年利5とか6とか景気の良い数字が並んでいたので、いくらかの定期預金が増えたら、将来家族でNZ旅行でもしようか、などと妄想していたのだった。それ以外にはNZについての思い入れはほとんどなかったのだった。
 
 初めは国内も考えた。関西なら?九州なら?沖縄なら? しかし、アレはもちろんのこと、その他の気になることはどこへ行っても違わないだろうと思えた。
 ならば海外しかないではないか・・・しかし、目的は生き残るためだけではない。子どもたちが今しばらく安全に暮らせる環境は必要だったが、自立した人間として成長してほしかったし、次の世代を生み育てる希望を持たせたかった。だから教育水準の低いところや、日本のように教育の崩壊が起こっているところは選びたくなかったのだ。教育水準と言っても、学歴を偏重したり、エリート教育を求めるような動きの話ではなく、普通の先生が普通に教育をしていれば、子どもたちが普通に立派な大人になれるまともな教育のことを言っている。
 もちろん治安、衛生状態、民度の安定、なども大事な要素であることは言うまでもない。
 
 さらに言えば、農業国が良いと思った。工業国の行く末を目の当たりにしたし、食糧自給率が低いということの危険性も肌で感じたから。何かあっても、庭先で最低限の野菜くらいは作れる環境がほしかった。

 消去法の結果、NZが残ったのだった。
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出国の決心
2013-01-10 Thu 19:11
ついにNZに到着した。

 構想1年。慌ただしい1年だったので、手続きや経過など、あまり細かく覚えていないし、すぐに忘れてしまうかも知れない。また、環境の激変で起こってくるであろう、子どもたちの様々な変化や成長なども、記録しておく必要を感じた。そこで、自分のための覚え書きとして残しておこうと、ブログなどというものを始めてみることにした。
 移住をOKしてくれた夫にも、文字だけではあるが、子どもたちの成長を家族として知らせる責任もあるし、今移住を考えていたり、同じように移住した人たちに、良くも悪くも参考になればと思う。


さて子どもたちを連れて、日本を出ることにした最大のきっかけはもちろんアレ。

 しかし、決めてからというもの、あれもこれも気になるようになった。きらびやかすぎる街の様子、無駄にはびこる、子どもたちを誘惑する物資の数々、子どもたちに一体何を教えたいのか、どこへ導きたいのかさっぱり分からない学校教育、いつの間にか、おいしいとかきれいとかもうかるとか楽しいとかそんなことが幸せだと感じる価値観の蔓延、これらの行き着く先にどんな未来がやってくるのかを想像するだに、虚しかった。

この国は、もう「つんだ」と感じたのだった・・・


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| ニュージーランドに暮らすということ |
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