ふにゃこ
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足踏み
2015-04-24 Fri 17:24
 バタバタし続けていた1学期のあとも、そうそう暇ではないホリデーが続いた。かけずり回っていたわけではないのだが、近場であちこちへ出る用事があったり、家でもあれこれと小さな用事がいろいろあった。
 言い訳がましいけれど、とにかくそんな状況では、腰を据えて勉強など出来る環境ではなかった。ちょっとだけ文章を読んでは、すぐに用事が入り、ということが続くと、読んだばかりの文章もまったく頭に残らず、単語などもメモしても一つも覚えられない。

 それと似た状況にあるのが合気道で、先生が次々とお手本を示して、演習に入るのだけれど、見ていたときには分かりやすかったものが、自分の体で再現出来ない。ゆっくりと同じ型を繰り返して、出来ることならメモに残しておきたいくらいなのに、相手のあることでもあるので、型通りのことをしなくてはならない。少しだけ見えてきたところで、すぐに次の型にいってしまう。だから結局、なかなか定着せずに、また体もすぐに反応出来ない。

 目の前を通過していく情報が速過ぎて、きちんと把握出来ていないうちに、さらに次のことがやってきてしまうことに少々いらだちを感じている。それが例え年齢による衰えだろうと、周囲の状況が速過ぎるのだろうと、原因はともかくとして、空回りしているのを日々感じるのだ。スピードダウンして現状に合わせて調整するよりないのだろう。

IMGA0942_20150417171831e44.jpg
イチジクがほしい、というVictoriaに、近所の木を紹介しました。わざわざ
バスで穫りに来ました^^

わざわざどうも^^;
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美しい日本語
2015-04-03 Fri 18:30
 私自身は、女らしく、という価値観をいわば敵視して生きてきた。スカートをはかず、男っぽく振る舞ってみたりもした。言葉も男言葉を使っていたので、後年、自分の社会常識の足りなさにいくらか戸惑ってもきた。
 仕事でも、丁寧に話すよう努めていたものの、女性らしい、たおやかな言葉が自然には出てこないし、言うことに照れくさささえ感じてしまう。敬語や謙譲語をある程度きちんと使い分けているとしても、そのこととは別次元なのである。

 ケント・ギルバート氏のこんな記事を読んで、日本語の方が自由、日本語から英語に直す方が難しい、という感想に少々驚いた。私からしてみたら、歩くという動詞だけでもいくつもあるし、形容詞の豊富さは学習者を困らせるほどだ、と思っているので、日本語の方が単語が少ない分、シンプルに集約されるではないか、と思うのだ。

 それとは実はあまり関係ないのだが、久しぶりに日本から荷物が届き、その中に小公子の文庫本が入っていた。Amazonの古本ではあるが、装丁は新しくてきれいだった。ところが長女が、なんだか読めないのだけれど、と持って来たのを見ると、何と旧仮名遣いなのだ。本自体は93年に印刷されているのだけれど、判は翻訳された当時の1927年のものそのままのようなのである。
 どれどれと音読してみると、森鴎外や芥川龍之介の作品のようでもあるが、そもそもが童話で、訳者は女性でもあるので、それはそれは落ち着いた響きで、美しい、と表現するのがぴったりなのだった。私はあまり古文はしっかり勉強しなかったし、日本文学には関心が薄いのだが、こどものころに、やはり古いままの「のらくろ」シリーズを読んでもいたため、こんな文章もいくらかは読めるのだろうと思う。
 一方で、ゆっくり音読したにも関わらず、末っ子は元より、長女でもあまり理解出来なかったようである。こんな文章が読める世代ももういなくなってしまうのだろうか。まさにケントさんが書いている記事のように、昔の文書を読めない人が増えてしまうと、文化はどんどん衰退してしまうかも知れないのだ。

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ブラジル人のVictoria。高卒後にロングホリデーで叔母さんを訪ねて来て
います。彼女の処世術には学ぶところがとても大きいです。だれも彼女が
17歳だとは信じません。日本の文化や食べ物が大好きです。

信じて!
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計算式
2015-03-31 Tue 18:15
 ようやく長く忙しかった1学期が終わろうとしている。小学校では恒例の面談があった。受けなくても構わないし、末っ子については、まぁ勉強には十分ついていけているようなので、どうしても聞かなくてはいけないこともないのだが、日程的にはまったく無理がなかったり、ちょうど昼からよそのお宅へお邪魔することにもなっていたので、むしろ都合もよかった。オンラインで予約を取っていたのだが、当日になって、もう少し早く来てください、と電話があった。ダブルブッキングでもあったのだろう・・。

 英語のリスニングやリーディング、スペリングなどは、ほぼ同世代レベルに届いているということだったので、まずは一安心した。作文力も、と言いたいところだが、日本語でも英語でもあまり作文を書かないこともあるし、聞いたり読んだり、というインプットがもっと増えれば、徐々にアウトプットも増えていくだろうと思うので、これについては今後の課題である。

 さて算数のところへ来て、彼女のレベルはNZの標準よりもやや高めになっていて、それは、日本の算数をしていて、なおかつ文章題を英語で読めれば、ある程度当然なので、特別優秀なわけでもないのだが、問題は、日本の筆算を使うときがある、ということだった。先生自信もこの方法で習ったそうだが、今はこれは使わずに、こういうやり方をおぼえてもらっているのです、と先生がホワイトボードに書いたのは、

52 + 34 = 52 + 30 + 4 = 82 + 4 =86

という式だった。まったく理解が不能だった。なぜ分解しなくてはいけないのか、その戦略が分からない。およそ普通に筆算の練習を積んでいれば、この程度の式は暗算で解けてしまうし、概数で、というのならそれも分かる。
 この方法で習った子どもたちの数年後が、次女や長女のクラスなわけで、とてもではないが、この方法が優れているとは思えないのだ。もしも数学に詳しい方で、この戦略的な意味を理解出来る方がいたら、是非とも教えていただきたい。

 現在彼女は日本の新三年生、こちらでは4年生である。昨年度には、一時、分数すら出て来たにも関わらず、3/4年生合同クラスでは、この程度の足し算にも四苦八苦している子が多いのだという。また、この延長線上にいる、中学生(日本の小学6年生)でも割り算の筆算がおぼつかない子が多い。一方で、比例や方程式のごくシンプルなものが出始めても来る。
 これでは、あまりきちんと楽譜の読めない子にピアノ曲を弾かせるようなもので、到底無理である。この状態でずるずると中学と高校の前半が終了すると、今度は数学が一気に難しくなってしまうのだという。

 乳国の大学は世界的に見てレベルが高い、という都市伝説を何人かの人から聞いたけれど、高校終了時の学力試験や大学の教養レベルでの基礎学力が落ちていて、大学の世界ランキングも下がっていることはニュースや新聞記事にもなっている。数学だけでは教育水準は計れないが、少なくとも義務教育での数学のレベルは、ここでも何度か批判しているように、残念なものと言わざるを得ない。

IMGA0873.jpg
日本の中学1年生相当の数学のテストです。しかもレベル別で上位の
クラス・・・字が汚いのは、テストで時間がなかったから、だそうで。

IMGA0874_1.jpg
一方で、平方根の近似値を求める問題が!? 解き方を教えてくれたわけ
でもないそうで、場当たり的に求めていくしかないような・・・

クリックを求める・・^^;
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ダブルリミテッド
2015-03-19 Thu 05:23
 そうして、第一言語の発達が不十分なままで大人になってしまうと、例えマルチリンガルになっていたとしても、言語能力によって思考能力が限定されてしまうので、考える力までもが幼いままになってしまう問題が起こるのだという。これを、ダブルリミテッドと呼ぶそうだ。

 子どもを外国に連れて行けば、子どもは勝手に学んで、バイリンガルになり、どちらも使いこなせるようになる、というのは都市伝説で、バイリンガルになるには相応の努力が必要なのだ。日本でインターナショナルに通っている日本人、家族とともに外国にいる日本人、片親が日本人の子で、外国にいる場合、日本にいる場合、など、家でも外でも一つの言語で育つのではない環境は様々あり、それぞれに何らかの困難が伴うことはあり得る。

 だから、英語で討論出来るような大人を作りたければ、まずは日本語で討論出来る力さえあれば、あとから英語を学んでも可能なのだし、日本語で出来ないものを英語でなら出来るようになるものではないことも確かなのだ。それなのに、学校教育の英語の対象年齢をさらに下げるのだという。日本の英語の先生の、TOEICだかTOEFLだかの平均点は恐ろしく低いのだそうだ。学校での英語教育などに期待している保護者も少なく、幼児向け英語レッスンが大流行りである。
 日本の英語教育は病んでいる。無駄にお金と時間をかけている。だからと言って、抜本的に何かを変えることは難しいだろう。手始めに、現場の先生に、最低3ヶ月のホームステイ・語学学校を体験してもらうのはどうだろうか・・・

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いつもの八百屋さん・・・ん??何かが違うぞ?

IMGA0823.jpg
平日の昼間でしたが、アイリッシュダンスのパフォーマンスが。
セントパトリックデーの後だったからかも?

忘れてた!?
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バディ
2015-03-16 Mon 16:31
 乳国の小学校ではしばしば、learning buddyという、先生が決めた特定のクラスメートとセットを組むことになっている。先生が勝手に?決めるので、必ずしも仲良しとは限らず、末っ子の昨年のバディとは互いに牽制し合っていたようだった。

 久しぶりに手話のお茶会へと参加した。月に一度しかないので、その一度をはずしてしまうと、2ヶ月も3ヶ月も空いてしまうことになる。しかもその間、やはり一人では学習が持続しないので、久しぶりにのぞいても、指文字についていくのがやっとである。
 いつもながら、乳国の手話・指文字があまり合理的ではないことにもやもやしながら、参加していたのだが、英語の指文字は、例えばeで始まって、頭の中にイ、もしくはエの音がうかんで来ても、続いてarと来ると、とたんに発音がearlyのように、アーというのかウーというのか、そんな音になってしまうので、そんな英語の特徴にも壁を感じていた。日本語の指文字であれば、ひらがな同様、そのまま読んでいけばそのうち単語が顔を出してくるのに・・

 ともあれそこは悩んでも仕方がないので、とにかく頭の体操だと思ってぐっとこらえて参加している。尤も、参加者はみんな普通にフレンドリーな人たちだし、deafの人たちも、根気よく相手をしてくれて、cold shoulderではないのだけれど、メンバーと普通に話すチャンスがほとんどないために、いつまでたっても他の人たちの名前や人となりが分からない、という戸惑いも実はあるのだ。

 今回のお茶会では、順番に一人ずつ、Bで始まる単語を指文字で綴り、他の人が手話を答える、というゲームのようなことをしたのだが、読み取る時間と考える時間があったので、いつもの活動に比べるといくらかためにはなった。
 この日、同じテーブルに座った、年配の女性は、私と同じ手話辞典を持っていたのだけれど、その辞書には付箋がびっしりと貼ってあった。相当に勉強をしていることが想像され、確かにメンバーの中ではかなり上手に使える人だった。同じレベルか、それ以上の人で、互いに刺激し合えるようなバディがほしいと思っていたので、早速コーディネーターのSueさんに、この方と連絡が取れるようにお願いメールを出した(この日は早退したので、個人的に話すことが出来なかった)。

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サイクロン対策のために、いくらかの水と食料を備蓄・・

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